(since 2004.3.12)
2004年8月
8月25日
八日目、ニューヨーク。
この日に帰ってきた。オランダのスキポール空港からニューアーク空港で。
スキポール空港は内部に博物館があったりして面白かったです。ヨーロッパ最大規模といわれる免税店は、結構広かったです。何より驚いたのが、香水売り場のお姉さん。オランダ人だと思ってたら日本語で話しかけられた。なんか柔和で、親しみの持てる綺麗なお顔だなぁうへへへと思ってたら、なんと日蘭のハーフだと。はー。
ヨーロッパは街並みだけでも楽しいところでした。疲れた。アメリカに帰ってきたときに一番うれしかったのは、「英語が通じること」でした。結構通じない人いるんだもの。
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アムステルダムの娼婦
メールで聞かれたんですが、飾り窓のお姉さんは買わなくとも、暇な時間帯や多少のお金、おみやげがあると前日に書いたように話に付き合ってくれたりします。他にもギリシャの女性によく話を聞いたんですが、その人は綺麗な彫りの顔で色白、細く、しなやかな美人さんでした。顔が凄く綺麗なのには結構驚きましたよ。この人は日本文化に興味があったみたいで仕事そっちのけで話してくれました。ほんの少しの勇気があれば話しかけてみるのもいいかもね。
8月24日
七日目、アムステルダム。
オランダ、飾り窓情報。
オランダの世界的に有名な売春地帯、売春してる娼婦のお姉さんとちょっとお話してきました。
初めに、ヨーロッパの売春・娼婦事情。
EUの成功は、国家間の経済格差からくる経済的、文化的摩擦を乗り越えられるかにかかっている。それはもちろん、加盟国同士を自由に行き来できる協定を結んでしまった国の必然的な責任であり、拡大する勢力圏の民族的差別を助長するのも経済的格差である。
ここで言う経済的格差とはすなわち、各国各層の格差ではなく当然国家間の格差である。いわゆる冷戦時代の西側、イギリスなど西欧とドイツと東側社会主義国、東欧諸国の貧富の格差はEC改称・EU発足の1993年から10年を越えた今でも埋められていない。埋められていく気配すら感じない。
そのなかで、外貨(と表現するとおかしいが)を簡単に取得できる方法はやはり売春になってしまう。オランダ政府は2000年、ドイツは2001年、正式に売春を合法と認めた。フランスも売春は禁じられていない。ちなみに、フランスの職業的売春婦は約二万人でその半数はパリで働いている。驚くべきことに、その三割はゲイなのだそうだ。フランス国内は、職業的ではなく売春をする人は七万人ほどいるといわれている。
ヨーロッパで驚くことは、しっかりと仕事を持って給料もよく、学歴も高かったりしても臨時収入や趣味のために売春をする人がいる事実である。フランスでもこの傾向はある。
さて、話を東欧との経済格差に戻す。91年、ベルリンの壁が壊れゲルマンの悲願がなった時期、東側に大勢の労働者が押し寄せた。その中には自分の体を二束三文で売る女たちもいた。今まさに、ルーマニアなど東欧諸国から押し寄せてくる外国人労働者たちに西欧は政界、経済界ともに悩まされている。特に問題となるのが東欧から来る売春婦である。
売春婦と書くと印象が悪いかもしれないが、労働者である。一般論で申し訳ないが、東欧の女性は堀が深く体型もよく美人が多い。むしろ西欧よりも多い。これは西欧人もある程度認めている事実であるし、実見してみればわかる。そのような美しい女性が、大して高くもない「料金」で「買える」のであれば男達をなだめるべき明確な理由を私は持ち得ない。
東欧から西欧へ流入してきた娼婦はここ10年で50万人ほどになるという。資本主義が生む、経済格差の必然的現象の一部であるのがヨーロッパの娼婦である。そこにはもちろんマフィアも関わっていれば己の意思のみで売春を職業にする人達もいる。
ヨーロッパは、娼婦が歴史的にも必ずしも地位が低いとは限らない。娼婦が王侯貴族と結婚してもおかしくはない。日本で日本人が売春をする行為とは人類学的視点から見ても恐らく多分に違和感が生ずるものと考えられる。とはいっても、やはり娼婦は娼婦としてそれほど身分が高いわけではない。
簡単ではあるが、上記がヨーロッパの娼婦、売春の実態のである。自分は娼婦を悪いとは思わない。高く売れるから売る女がいて、それを嘲笑する女もいる。売らなければいけない女もいて、好きでやっている女もいる。行為そのものを否定することは簡単だが、背景全てを否定するのは不可能である。売春は女性最古の職業だとも言われる。ただ一番自分にとって問題なのは、この綺麗な女性の顔と呼吸が、一体何人の男に乱されてきたのだろうと妄想してしまう罪作りな自分の思考である。
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オーストリアの娼婦
・・・・・・・・・・・・だから、ベッドシーツ直してるんだ。
そうよ、お客さん商売なんだから。終わった後にシーツが乱れてたら、誰でもその前のことを考えちゃうでしょう。 フフ・・・・・・・でもおかしなもんよね。 ファックすることがお仕事なのに、一人相手にお仕事してるわけじゃないんだから、ね。 でも、気持ちのことだからね。
でもなんで? 僕がシーツを乱したわけでもないのに、綺麗なシーツを伸ばすのは。
そうね、癖なのよ。ファックの時に、わざとらしくいやらしくするのと同じようなものでね。 だから、彼氏は私とファックする時はいつもうれしそうにしてくれるわ。 やっぱり、毎日ファックしてるんですもの。 ファックは誰にも負けないわ。
(ファックね)・・・・・・・・・・・彼氏がいるって、アムステルダムに住んでるの? オーストリアから来たって言ったじゃない。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・そういえば、体に何か光るものつけてるけどそれは何?
ここに住んでるのよ。彼氏はオランダの普通の会社員。 体についてるのはねぇ、カラーライトで光るのよ。それに、何回もファックするとどうしても体が汚れてきちゃうから、紛らしてるの。 ねぇ、それよりいいの? そんな服着てると目立っちゃうじゃない。
着物ね。目立って困ることなんかあるもんかい。むしろ、最近貧弱に見られてる日本男児は、ホントは性欲の鬼なんだってことを見せ付けてやるのさ。 それにこの飾り窓って、繁華街とつながってるからだいじょぶだよ。
あら、日本人はもっとシャイだと思ってたわ。・・・・・・・・・・・・・・・あなた、ヨーロッパに観光できたんでしょ。 オランダだけじゃなくて。 彼女は放っておいていいの?やっぱり白人を抱いてみたいとか?
いや、独り旅だから彼女なんていないよ。 国にもいないし、どこで誰とエッチなお話をしようが浮気にならないよ。
へぇ・・・・・・・あなたも変わってるのね。 ここに遊びに来るなら男だけでもいいけど。 普通ヨーロッパに来てパリやロンドンに行くんだったら、一人で行くものじゃないわよ。何が楽しいのかしら。 ・・・・・アムステルダムにはファックのためにきたの? オランダなんてファックとマリファナの国なのよ。
ああ・・・・・・・・・・・・・そうですか。彼女がいないとヨーロッパは来るべきではないのですか。 でも、ここはきっと彼女がいるやつはあんまり少ないでしょ。 そういえば、足、凄く長くて白くて綺麗だよね。 オーストリアって言ってたけどゲルマンとも少し混じってるの?
あら、グットレッグてほめてくれるの。 私のおうちはずうっとオーストリアなの。だからオーストリア人よ。
(そういえば、混じってるどころかオーストリアはゲルマンが大多数だったな・・・・・・・・)だから、足も長くて色も白い。凄く綺麗だよ。 そういえば、なにか鍛えてるの?腹筋とか、腰がきゅうって締まってるし、腕も細いのに結構筋肉あるよね。
あはは。よく聞かれるの、ジムか何かで鍛えてるのかって。 違うのよ、こうね、腰をよく使うのよ。(腰を回しながら) いつもそう聞かれるとこう答えるの。 「私は何もスポーツはしてないわ。ただファックしてるだけよ」って。 知ってるでしょ、ファックは全身の筋肉にいいの。気持ちいいし、汗もかけて最高のエクササイズなのよ、ファックは。 毎日仕事でファックして、家に帰って彼とファックして、ファックしてれば自然とスタイルはよくなるの。 ファックはね、こう、腰を回すから、自然とお腹やお尻の筋肉がスリムにつくのよ。みんなファックのおかげよ。
・・・・・・・・・・・ファックを連呼する目の前の快活な美女。 うっすらとさわやかな笑いが頭の中に起こるのは僕だけでしょうか。
8月23日
六日目、アムステルダム。
フランスはさすが農業立国、とい感じだったけどこちらはさすが港湾都市という印象。電車で来たときは線路より上に水路があったり、アムステルダムには水上バスがあったり面白い町です。まぁ、湿気が多くてたまらんのだけど。
ユダヤの悲劇、アンネ・フランクの家・・・・・・・・・・の一階部分。アンネ・フランクが隠れ家に使っていた部分は上階なので、下は売店になっていた。でも朝から非常に込んでたので見学は断念しました・・・・・・
これはアムステルダム歴史博物館。暇だから行ってみました。意外と絵画が多かった。
その後国立ゴッホ美術館に行ったのですが、大雨が降ってきたため撮影してません。アムステルダムもニューヨークと同じように、いきなり大雨が降ってくる。
で、上の傘はゴッホ美術館辺りで雨に困っていたところ親切な女性に余っていた折りたたみ傘をもらってしまいました、とゆう写真。優しい人はどこにでもいますねー。
ええと、アムステルダムと言ったらセックス、ドラッグ、安楽死などが容認されている自由の国として有名ですね。個人的にはアメリカの数倍自由だと思う。
で、自由の象徴か分からんですがマリファナ、です。撮影させてもらいました。自分は煙きらいだからタバコすら吸わないんですけどね。
アムステルダムに何店舗も展開するコーヒーショップ、ザ・ブルドックのライターです。記念にだと。そういえば、パリで同室したメキシコ人にペソの硬貨を記念にともらったのを思い出しました。アムスの記念は大麻の火ですか。
ちなみに、カフェが酒やお茶で、コーヒーショップは主に大麻を売ってます。
アムステルダム・飾り窓調査
・・・・・・・・・・この日は大雨が降ったことと、少し寝坊してしまったこともあってこれくらいしか観光していないんですよ。で、もちろんアムステルダムで男が観光と言えば、そう飾り窓です。世界的に有名なアムステルダムの飾り窓、実態調査を2日に分けてしてみました。
さて、女でも買いに行くか見学にでも行ってくるかと夜の町に繰り出したのは2日とも大体9時ごろ。近くの唐人街、いわゆる中華街で夕食を取って覗きに行ったのは大体十時過ぎから。
アムステルダムの飾り窓のレポートとして、まず最初に言っておくべきは場所です。ガイドブックにも載っている飾り窓地区とは、旧教会から運河沿いにかけてを大体さしていますが、これは大きく的を外しています。
この運河沿い、大体が観光客用になっています。つまり、美人さんはあまりいません。やはり知ってる人のほうが得するように、路地を入っていったところに綺麗な方々が集中しています。
地図で示した方がわかりやすいのですが、本当に行こうと思ってる方なら旧教会から運河沿いに戦没者慰霊塔、もしくはクラスナポルスキーホテルの裏までの道をじぐざぐに入り込むことをお勧めします。
相場は大体50ユーロ。日本円に換算すると高くはないでしょう。ただ日本人は大方英語が苦手な上にだまされやすいのでふっかけられることもありますので注意してください。
ちなみにSMプレイやデブ専の娼婦もいます。(化け物かと思うほど太ってる)こちらはもう少し高めです。
街婦には赤いランプ・・・・・・・・・・ですが、夜になる前から赤いランプをつけています。赤いランプは肌の粗をかくしますので、気をつけてください。つまり若く見えます。
もちろんですが夜のほうが回転率は高いです。夜十時くらいからが一番興ののる時間でしょう。
人種、国籍ですがやはりオランダ人はほとんどいないみたいです。多いのは東欧人、アジア人、黒人、アメリカ人などです。主に東欧人が多いでしょう。東欧と言っても、トルコのように少し混ざってるところもいれば、ギリシャなどのように全くの白もいます。
意外なのは黒人です。ヨーロッパ出身の黒人が多いそうです。やはり北アメリカ、もしくは東欧系黒人です。例外ですが、黒人も白人も西欧からも来ています。
アジア人は主に東南アジア。やはりタイ人が非常に多いです。後は中華系です。ですが、美人がいる地帯にはあまり黒人とアジア人はいません。白人の方が多いです。
好みの問題もあるでしょう。土日はドイツなど隣国からも国境を越えて買春に来る人達もいますし、今のように夏だと休暇で世界中から人が来ています。ですが主に欧州にわざわざ来る人はヨーロッパ人を抱きにきているのでしょう。
欧州連合の成功の是非は労働者問題にかかってくると考えています。経済格差から来る移民、流入は避けられない一種の貿易です。アムステルダムは歴史的にアメリカよりはるかに長い移民の歴史を誇っています。ですがやはり売春小屋で売春をする方々はいくら綺麗でも東欧人が多いのは事実です。
そして、この飾り窓には欧州の労働者(売春婦)の流入として顕著な特徴が見られました。それは南米人が少ないことです。
ラテンアメリカはコロンビアやブラジルなど海外でも売春が盛んな国です。メキシコは地理的には北米ですが、メキシコ人も多いです。ですがここにいるアメリカ大陸系と言えば、小遣い稼ぎできているアメリカ人くらいのもので、自分には経済格差と政府の娼婦に対する対応の違いと受け取れます。
まぁ、だから東欧の方をヨーロッパで買いたいなら手っ取り早いのはオランダ、ということになるのかもしれませんが。
さて、交渉ですが大体50ユーロで「サック・アンド・ファック」になります。
ファックは分かりやすい英語で、そのまんま性交ですが、サックは吸う、と言う意味です。つまりフェラチオのことになります。
テクニックごとに値段が変わります。体位を変えるには事前に契約をしておかなければならないこともあるそうです。
ただこれは慣習法で、何も法律があるわけではありません。何も言わない女性は何度体位を変えようが、時間を気にせずやろうか問題ないです。
ひどい話では、「フルストリップ」でない場合は服を脱がず、パンティをずらしてそこから「進入」とゆうこともあるそうです。英語が苦手でもがんばって話してみることは大事だと思います。
ちなみに、女性らほぼ全てがかなり流暢な英語をしゃべります。オランダ語と、英語と、母国語はかなり話せる人、というのも珍しくありません。
個人的には海外風俗で外貨を落としまくる日本人観光客は好ましくありませんが、英語が通じるのは楽な要素の一つでしょう。
ちなみにこの飾り窓地帯にはかなり多くのポルノショップ、セックスライブ、ストリップなどがあります。ポルノショップのビデオやDVD、本などは無修正、おまけに獣姦、ロリータ、などなんでもありです。
店に入らずとも、外にパッケージがものすごい量貼られています。複数で少女(小学生くらい?)とのプレイしているものや、明らかにクスリを打っているだろう女性のビデオのパッケージまで様々です。 ここは町の繁華街ですので、普通に女子高生なんかも通る道なのですが、彼女らもなれたものです。恐らく、オランダほど性規制のゆるい国もそうないでしょう。
それでは皆様の性交を・・・・・・・・・・・じゃない成功をお祈りしています。
それと最後に、次回は実際に娼婦の方々に色々話を聞いてみたことを書きます。お姉さん方、結構あっけらかんとしてて楽しかったです。
8月22日
五日目、アムステルダム。
朝から欧州鉄道、タリスでパリ東駅からベルギーのブリュッセル南駅へ。
鉄道マニアなら喜ぶのだろうか。パリ発、タリスです。
ベルギーに着いた!ということで南駅から中央駅に移りワッフルを食べる。
ちなみに、こういうワッフルはリエージュワッフルと言うらしいです。他にも、ブリュッセルワッフルというのがあってそれにはクリームやらなんだらがワッフルの上にある豪華なものでした。もしかしてベルギーワッフルというのは日本国内の呼び方か?
ユゴーが世界で最も美しいと称したグラン・プラス大広場。
グランプラスにある市庁舎。
市立博物館になっている「王の家」。王が住んでいたことはないそうな。
このグラン・プラスの大広場は建物がどれも古くここだけ時代が変わったような印象を受けました。大広場といってもそんなに広くないけど。
ブラバン公爵の館。ブラバンはフランス読みで、地元ではブラバントです。1993年のベルギー憲法改正まではブラバント公領なんて一州を持っていたそうな・・・・・・ヨーロッパの王族・貴族はいまだに力持ちですね。
グラン・プラスからすぐ。触ると幸福がもたらせるというセルクラースの像。
少し歩いてここ、本家本元小便小僧の像。衣装替えもあるそうですが本日はフルヌードでした。
ちなみに小便小僧の製作年は1619年。世界中から衣装が送られているので世界一の衣装持ちといわれるブリュッセルの小便小僧ですが、衣装が送られてくるのはなにも彼が裸だからではありません。
フランスはルイ十五世の兵士が酔っ払い、彼を盗み出したためブリュッセル市民がデモを起こし、そのためルイ十五世が謝罪に金の刺繍が施された宮廷服を彼におくったことが起源だそうです。
それから、日本から送られている衣装には桃太郎の衣装もあると聞いたことがあるのですが本当でしょうか・・・・・・・・ 衣装は、王の家に保管されています。自分は休館日で入れなかったけどね!
にぎやかなイロ・サクレ地区。レストランが多く、日本観光客を狙った詐欺も多いです。
レストランが多かったですけど、昼飯は日本食を食べました。ブリュッセルで一番高級だという日本料理屋、田川に足を運んでみました。
おいしかったですよ。店内も広くて、内装もよくて。それより女性みんな和服姿というのがよかったです。さすが欧州の日本食店。
イロ・サクレ地区の目立たない細い道に鎮座する女の子版・小便小僧、ジャンケネ・ビス。柵に囲まれているので写しづらい。こちらは1987年作。製作理由がよく分からないのだけど、ただ単に観光名所にしたかったのだろうか?
意外とリアルに作ってあるので卑猥です。黒くてかてかしてるのでよりいっそう卑猥です。だって少女なんだぜ?
ブリュッセルのアーケード街、ギャルリーサンチュベール。そんなに長くないのだけど、完成したのが1847年でヨーロッパでもかなり古い歴史をもっているそうな。 何も買わなかったけどね。
上はブリュッセル公園。下は国会議事堂。隣接しています。中々すがすがしい公園でしたが、昔はブラバン公の狩猟場であった上、ベルギー独立戦争ではオランダ軍との戦地にもなったとか。
これは王家博物館の門。実は、本日は月曜日でして博物館の類はほとんど閉まっておりました。何のためにブリュッセルによったかわかりゃしねぇ。
王宮。写真の印象よりははるかにでかい。
上はEU委員会本部、下はEU理事会。なんでベルギーがEUの中心地になるのだろうとも思うけど、地政学的にはばつぐんですよね。
ブリュッセルの凱旋門。サンカントネール公園にある。このサンカントネール公園の凱旋門、フランス革命反対者の神聖ローマ皇帝レオポルド二世が命令して作ったそうだけどなんと建築者の名前はジローだという。
もしかして次郎か?と思って調べたら綴りはGiraultだった。何でこれでジローって読むんだよ!がっかり。
公園内にある王立軍事博物館。もちろん閉まってたよ。
凱旋門の上。
さて、ベルギーはオランダにいく途中寄っただけです。朝にパリを出れば、五六時間はうろちょろできるだろうと思ってたので、夜になる前にブリュッセルを出てアムステルダムに向かいました。ヨーロッパは鉄道移動が国家間を超えているのに結構楽です。向こうに着いたらもう夜。
これはアムステルダムの中心地にある戦没者慰霊塔。
同じくアムステルダムの中心、ダム広場にある王宮。夜ですがそれなりに雰囲気がありますね。
はい、もちろんアムステルダムの夜ですから?有名な飾り窓は忘れられませんよね?とゆうわけでハンブルクも有名な飾り窓ですが、アムステルダムの方が有名だろうと言うことで乗り込み調査してきました。
乗り込み調査と言うと聞こえが悪いかな?実情調査をしてきました。この日の夜と翌日の夜、働くお姉さんたちとも話してきたのでそこらへんは明日書きます。てゆうか正直に書くと主に娼婦の方々に多を話を聞いてきました。これはエロさだけではなく、これからの欧州圏の重要な問題だと思います。・・・・・・・・・・・が、やっぱり綺麗なお姉さんはいいよねぇ。ハ、ハァハァ!
8月21日
四日目、パリ。
朝からルーブル美術館へ。
上手く写してないけどルーブル美術館。とりあえずでかい。でかい。でかい。
内部の像。屋根が高い。
内一部。
館内の鏡で自分撮り!
とりあえず展示物が多い。下を向いてられない。
本当に多い上に狭く置いてあるのでありがたみがない。
ぼやけているけどモナリザ。
そういえば、館内でもまた写真に一緒に写ってくれといわれた。みんな好奇心旺盛だなぁ。
それと、オルセー美術館もオランジュリー美術館も時間が無くて見にいけませんでした。ルーブルは展示品が多すぎて、じっくり見たら一週間でも見終わらない気がします。
シャンゼリゼ通りと凱旋門。
凱旋門を登って撮ったエッフェル塔。ちなみにパリの凱旋門の名前はエトアール凱旋門。墓にもなってる。
モンマルトルのサクレ・クール聖堂。綺麗。モンマルトルの坂道は、なにか日本の長崎に少しにてるな、と思いました。
テルトル広場。やはり絵が書かれてたり売られたりしている。
パリの印象ですが、どこか素朴でそれほど華美ではないと思います。華やかそうに見えても実際はおとなしい。貧富の差・・・・・・・と、いうよりは一般的にそれほど差が無く、それ程金に余裕があるとは感じられませんでした。
ファッションの町ですが、確実に着こなしはロンドンの方が上。小奇麗におしゃれなロンドナーはとてもまずい飯しかなく面白くないイギリス、という印象を打ち崩してくれました。
対日感情としては、詐欺をしようと寄って来る人もいますが適度に声をかけられたりそう悪くないようでした。 男の子たちに追いかけられて、ジャポネ、コニチハ、コニチハ!と言われたのですがそれを見守る親たちも至って安心している。
飯は、やはりパンが、特にクロワッサンはおいしかったです。複雑なソースを好むフランス料理ですが、意外とシンプルなものもおいしい。舌がよければ当然かもしれませんが。
あと、中国人経営の日本食料理店がかなり多かった気がする。あまり人気はないみたいでしたが。
最後に車ですが、アメリカは本当に日本車が多い。アジアも日本車が多いと聞きます。しかしヨーロッパは、この後ベルギー、オランダと行くのですがどうも欧州車が多い。
もちろん、車大国日本の車を見ないことなど無いのですが、ここらにはヨーロッパの保守的、あるいはやや排他的な面も見れます。ルノーなどが多いのはフランスならば当然ですが、今回の東ヨーロッパで思ったのはなぜかフォルクスワーゲンの車両の多さ。なぜだ?
やはり、車と言えばドイツ車、というのはある意味ステータスなのかもしれない。でもベンツやBMVは高いから、VWを・・・・・・・とか。いや、少し違う気がする。調べてみると面白いかもしれない。
パリに限らず、都市は地下鉄を持っているのがすごく主流である。もちろん、計画当時の地政学的な意味面もあるのだろうけど、現代に至っても電線などを地下に隠し続けるのは景観を守るためでしょう。高層ビルも東京やニューヨークに比べるとほとんどないパリやロンドンの街並みだけれど、面白くて誇りを感じる。
あと、パリは夜が遅いですな。夏だからということもあるけど、九時くらいにならないと暗くなってこない。
8月20日
三日目、パリ。
朝からロンドンからユーロスターを使ってイル・ド・フランス・・・・・・・・フランスの中心、パリへ。
数々の物語の舞台となるパリ北駅。
ホテルはまたユースホステルにしました。ヨーロッパはユースだけで旅できそう。
名前はシテ・ド・シャーンス。
はっきり言って勧められません。人達の雰囲気はすごくいいのに、バス・トイレの設備がかなり悪い。
自分の階なんかトイレの便座が全て壊れて取れてましたから。バスも汚いし。
それにしても、"Cite des Sciences"でシテ・ド・シャーンスと読ませるなんて、フランス語は全くもってわからない。
パリの中心地、シテ島にあるゴシックの最高傑作といわれるノートルダム大聖堂。
ちなみに、これはノートルダム大聖堂の入り口に吊られている知らせ。「ようこそ」が「よこそう」になってるのに誰も教えてあげないのだろうか。
この後、隣のサン・ルイ島にある有名だそうな寿司屋、勇寿司に行ってみましたがなんと閉店中。なんてこった。
しょうがないのでパンを食べてました。フランスのクロワッサンはバターがきいていておいしい。そういえば、ロンドンで食べたおいしいクロワッサンもデリカ・デ・フランスとかいう名前だった気がする。
この写真はパリ第三・第四大学、いわゆるソルボンヌの校舎の一部。
これは恐らくリュクサンブール宮のどこか。分からない・・・・・・・
こっちが本物のリュクサンブール宮か?写真が多すぎて混乱してきた。
下はリュクサンブール公園。ちなみに、リュクサンブールはフランス語でルクセンブルクともとれる。
自由の女神、原像だそうな。原像は意外と背が低い。
リュクサンブール公園は結構広く緑も多く、まさに憩いの場所と言う感じでした。ここでは日本人の女性・現地の人間というカップルに声をかけられた。ロンドンでもこのパターンの人に声をかけられた。だからどうした。
見づらいけど、フランスの伝統球技・ペタンクをやる人達。
玉に下手投げで玉をあてたりして勝敗を競う。伝統球技と書いたけど、実は一般的になったのはここ100年未満で現在の形におさまったのも100年未満である。
伝統、というのは、またフランス人でもそう思っているのはペタンクの起源が古代にまで遡るから。
ナポレオンが眠るアンヴァリッド。元々退役軍人を収容する施設だったのですが、フランス革命時にバスチーユを落とす武器を奪われることになった場所、その後に現在の形に。軍事博物館とかもあるそうな。
エッフェル塔を見上げる。
ちなみに、エッフェル塔には登りませんでした。人々並びすぎ。またの機会に。
写ってる人全て観覧希望。左右から登れるので、これと同じほどの人数がもう片方に並んでいた。
エッフェル塔を眺めていたら、バルセロナからきたというスペイン人仲間に写真を頼まれた。 撮ってくれ、と言うのかと思ったら「一緒に写ってくれ」
だったので撮りました。一応顔隠しね。つうか、写真一緒に写ってください、なんてさ、俺はエッフェル塔のミッキーじゃねんだよ。見えないですけど、顔は満点の笑顔ですが。てゆうか全然いやじゃないです、着物はやはり珍しいだろうから。
ちなみに本日の落ちです。
エッフェル塔近くで見かけたヨーロッパ風の建物に並ぶ中華料理店、その名も金玉園。
きっと、宮廷文化を催した金の玉がいっぱい転がっている園なんだろうね☆
8月19日
二日目、ロンドン。
どこにどういう順に行ったかはっきりしない・・・・・
世界最大規模の博物館、大英博物館。
中は広い、高い。本当に広い。
館内の像。ぶれててわからりづらいけど、ちんちんが折れている。
何体もちんぽが折れている男子裸像がありました。きっと、大勢の人に触られて磨耗して折れてしまったのかもしれない。痛々しい。
大英博物館は、下を向くのが惜しいほど数々の素晴らしい展示であふれかえっていました。日本のものも、葛飾北斎等思わずうめきが出るほどのも。
次は帝国戦争博物館へ。世界中を散々荒らしたイギリスですが、入館する前には「戦争の痛みを理解できないものは入場する権利が無い」と書いてある。うろおぼえですが。
トラファルガー広場。
ネルソンの英国艦隊とフランス・スペイン連合艦隊の決戦、トラファルガーの海戦は有名だよね。
広場に隣接しているイギリス・ナショナルギャラリー。写真だけとって入りませんでした。
バッキンガム宮殿。世界文化遺産らしいよ。入りたい。
ロンドン博物館にも回ってきました。British MuseumではなくLondon Museumの方。 正確にはMuseum of Londonだけれど。
どっかからの写真。テムズ川沿いのロンドンブリッジ。
今日の最後に、何と言ってもこの日一番の出来事はトラファルガー広場で宗教の勧誘をされたことです。
男女一対の若人二人に「ニーハオ」と声をかけられた後、「一緒に聖書を学びませんか」ときたものだ。
神道と仏教の国、日本から来たこの俺にキリストを勧めるとはなんて無礼なやつなんだ・・・・・・・・と思ってたら渡された勧誘のビラには日本語で「エホバ」の文字が。
うわー、エホバの商人だ。じゃない、エホバの証人だ。
8月25日
帰ってきました。ええそりゃあもう疲れました。
六日ほどで四カ国を回るというあほな旅程を淡々とこなしてきました。順路はロンドン→パリ→ブリュッセル→アムステルダムです。それでは、簡単な報告だけしておきます。
模様一つ、材質一つ。床から壁から、匂いから物の動きから。何もかも興味深く見えた初めてのヨーロッパでした。
8月18日
一日目、イギリス・ロンドン。
ニュージャージー州のリバティ・ニューアーク空港から英国へ。
ロンドンと言えば、ヒースロー空港が有名ですがガトウィック空港に。
ニューヨークからロンドンは七時間の旅。それ程近いわけでもない。
宿はEarls Court Youth Hostel。内装は結構新しいです。中心部にも近いし。
ホステル内からの光景。アメリカとは全く違う欧州の家造り。
到着したのは昼前だったので、荷物を置いた後軽く観光に。
国会議事堂、ビッグベンの時計。高い建物だ。鐘の音が鳴り響いていた。
議会政治発祥の地。ちなみに正式名称はウェストミンスター宮。
ビッグベンのすぐ近く、ロンドンを見渡せると言う面白形の観覧車、ロンドン・アイ。
英国王室行事の舞台となる教会、ウェストミンスター宮。中は素晴らしい装飾と彫刻の数々だが、偉人たちの墓場になっている。
こちらはセントポール大聖堂。正面がなにか修理中だったらしいので少し裏側から。 セントポール大聖堂は素晴らしいので、ぜひ見に行った方がいいですよ。
何か工事中なため一部しか外観が見えないセントポール大聖堂の正面。
ちなみに、イングランドはかなり親日的な印象を受けました。 街中を羽織袴で歩いていて、中国人に間違われることもまずないし、日本国旗の日の丸のシャツを着ている人も見かける。
こちらが日本人だと分かると柔和な対応をしてくれる。なにより、アサヒビールのでかい駅の広告には日の丸がでかでかと貼ってある。外国で日本製品のCMに日の丸を使うのはあまり見かけないのでとても印象的だった。
親日的要素は王室と皇室関係もあるかもしれない。
それと、やはりと言ってはなんだがインド人が多い。大英帝国だからか。多いとは言っても、もちろんマイノリティではあるが。
英語も公用語だし、旅行しやすい国です。
8月18日
突然ですが、ちょっとヨーロッパに行ってきます。イギリス・フランス・ベルギー・オランダと。
ニューヨークからは大西洋は狭い、ということで留学している今のうちに・・・・・・・・・と。
それじゃ行ってきます。
8月17日
一発ネタ
クソゲーってさ
スカトロジャンルのゲームのことだろ?
8月16日
昨日は終戦記念日でした。英霊よ、安らかに。
−−−
韓国で「脱北者村」を作る計画が明らかになった。 北朝鮮から韓国に亡命して来た人達は中々馴染むのが難しいから、ソウルの近郊にその人達を集めた町を作ろうという計画だ。
ただ、この計画を進めているのはキリスト教関係者。村の名前は「統一村」と今のところ想定されている。
韓国・統一・キリスト教。・・・・・・・・・カルト教団の匂いがするのは俺だけですか?いやぁ、統一をスローガンにするのは分かるけどね。
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アテネオリンピック、日本勢は開始からメダルラッシュだそうで。 ああ、日本のテレビが見れないのが悲しい!
8月14日
ニューヨークの引き篭もり 2
いやまあ、引き篭もりって程じゃないんだけど。
本日はこんな一日でした。
一歩も外に出ず、旭屋書店で買った漫画を読む一日。来月からの授業何を取るかカタログを見ているだけの一日。目が覚めたら12時過ぎてていこうと思っていた道場に行けなかった一日。
つうか昼夜逆転気味の一日。
いや、何よりそれより、一番だめだと感じたのは
2 ち ゃ ん ね る 見 て 「プッ」 と 笑 っ て る だ け の 一 日
うはぁ。俺ってば人生無条件降伏☆
8月13日
自分の名前はタカヒロであるのだけれど。
母国語によっては「タカヒロ」とちゃんと発音できなくて「タケヒロ」と呼んでしまう人も多い。なので「タカ」と呼ぶ人もいる。
Takahiroとゆう文字を書いて「タカハイロ」と呼ばれたこともある。台湾人や韓国人は日本名よりもっと発音が外国人に難しいので、英語名を持つ人も多い。(他の意味もある)
自分は親から授かった名前に何の不満もないが、「将来外国でも通用するように」とかぬかしながら英語のような名前をつける親も別に悪くはないだろう。その方が欧米では楽かもしれない。いっそのこと、日本人も英語名をつけてしまえばどうか。
ただ普通に暮らしていれば外国人と話す機会もそう多くないとは思うが。誰にも呼ばれることのない英語名。てゆうか自分の名前にくらい誇りを持て。
8月12日
男女不差別教育は文化を壊そうとしている
・・・・・・・・・と思う。共産主義者やもてない男や女の陰謀なんじゃないだろうか。
2004年、ついに東京都教育委員会が「ジェンダーフリー」とゆう用語を教育現場から排除することを決定した。
男女を平等に扱い、教育するというのはある場面においては必要かもしれない。だが、行き過ぎたフェミニズムという観念は好まない自分にとって、この教育法は単にこれまでの文化・道徳を壊してしまうのではないかと危惧していた。
実際のところ、「男らしさ」や「女らしさ」を捨てさせる教育だったわけだ。あまりにも極論かもしれないが自分はそう思う。当たり前だが女は女らしい方が可愛いし、男も男らしいほうが頼りがいがある。
大体、男女人間の中性化などして何になるのだ。
自分も「男女差別のない」教育を少なからず受けてきた。 だからか、同年代にはあまり男らしいやつが少ない気もする。
高校までを振り返ってみると、やはり自分も相当女々しい男子だったと思う。尚、今も到底男らしい人間ではないけど。
「女々しい」なんて言葉もジェンダーフリー教育の中では禁句だった。そんな女々しい、または男勝りな教育を受けた自分ではあるが、父は「武士の家系で九州男児」といういかにも男女平等からかけ離れた人物で、その背中を見て育った自分は常にこの教育法方に疑問を持っていた。
父の男女観も当時の教育現場からは相当かけ離れていたと思う。それはよかったことだろう。 実に地域性に基づいているが、歴史性に普遍な感覚を得られたと感謝している。
男らしさも女らしさもない教育なんてのはただ単に男の根性と、女の強さを壊すだけのつまらない教育だ。 一国の教育とはその国々の歴史に根付いて脈々と受け継がれていくものでなくてはならない。
だから、男女平等教育がこれから崩れていくのはうれしい限りである。どうせなら男女の道徳感覚を取り戻すために教育勅語も復古してしまえ。現代語でいいから。 これからきっと日本はゆるやかに右傾化が進んでくるぞ?きっと。
8月10日
現在は、日本の大学でもセクシャルハラスメントのカウンセラーがいたりします。様々な学生のケアをするのが大学のひとつの仕事だというのも普通になってます。
だから、アメリカの大学ももちろん生徒の悩みをどれだけケアできるかというのは留学生にとっては非常に重要な部分であると思うのです。
で、アメリカの大学は国柄かアルコールのカウンセリングやタバコがやめられない人のためのカウンセリングがあるんですが。
で、面白いことに中にはドラッグカウンセリングというのがあります。
文字通り、麻薬中毒になってしまった人達を助けるための部門です。麻薬とはいっても、マリファナなどの軽いものではなく覚醒剤などの重いものを主としているそうです。
何というか、アメリカって・・・・・・・・・・と思わされました。
−−−
6日以降が適当なのは、倦怠期だからですよー
8月9日
アメリカの大学教育と自然史博物館
今日はごみを捨てる以外表に出ない素晴らしい一日でした。
と言ってもただごろごろとしているわけでもなかったんだけど。何をしていたかというと、これから大学で取るべき授業を探してました。いわゆる授業のカタログ。シラバスともいうものを。
で、これが自分が学ぶ大学のシラバスです。
無駄に分厚い・・・・・・・・・・・・
この厚さ分、本当に学科や科目ことがみっちりと書かれています。アメリカの大学教育は世界一の提供科目数を誇りますが、これだけあると大分無駄に思えてきます。
大体、似たような授業などがいくつもあったりするし、ただでさえ全米トップランクの古さを誇る自分の大学は科目数も無駄にあります。やはり古くてでかい総合大学の方が科目も授業も多いです。
何はともあれ、英語に耐性のない留学生のとってはこんな分厚い授業案内はただ単に混乱のもとにもなりえる気がする。願書のプロセスも大変だけど、授業選ぶだけでも大変だこりゃあ。
−−−
そんなことを書こうと思ったんじゃなくて、実は昨日アメリカ自然史博物館に行ってきました。そういえば観光してなかったので観光してみました。American Museum of Natural Historyね。
左はセオドア・ルーズベルト像
蛙の特集をやっていた。
別口。
中々面白かったので、ニューヨークに旅行に来る際はぜひ。
展示物は恐竜等の化石、さまざまな生物とその進化。様々な環境で育った文化と人類。宇宙。特に生物は哺乳類から植物、魚類から昆虫類など興味深いものが多かったです。
何より面白かったのが、アジアの人々というパートの日本の展示部分にアイヌ民族の展示があった。人類学上では、アイヌも軽視できない民族だからだろうか。
それと、館内では特に注意書きがなければどこでも写真を撮ってもよいというのも面白い感じでした。なんだか子供向けの科学博物館みたいなノリだ。
それと、日本の侍についても武具とともに説明書きがあった。なんでもいいが展示物より自分の方がずっと注目を浴びてしまった。なんせ展示されてる和服と同じように着物着てる人間が目の前にいるんだからな。そりゃ驚きますわ。
先日館内でまた勝手に写真撮られました。そんなに和服の男が珍しいのか。えー、僕は展示物ではありません。
8月6日
中国、韓国の歴史歪曲の疑いあり。高句麗は韓国なのか中国なのか(高句麗問題)
韓国政府が中国政府に対し抗議をしている。韓国メディアも批判ムード一杯で、外務省もまぜて外交紛争に発達してしまっている。
問題なのは、最近になって中国は古代朝鮮の高句麗を古代中国(当時は隋・唐など)の地方政権であったとする活動が見られる。
よその国の歴史をどうのこうの言うのはお門違いかもしれないが、中国は特に清滅亡後の共産党時代以降、他民族の歴史やアイデンティティーを歪曲、修正するきらいがある。韓国もまぁそうしたことをやってはいるが。
で、高句麗であるが。この国は中国東北部、北はロシア、南は朝鮮半島という満州に発生した王朝である。最初は満州東部に興り、朝鮮北部に発展する。古代朝鮮三国の一つである。
細かく言うと、前100年ごろに興起し王都は420年ごろまで中国東北部・満州辺りにあった。それ以降は平壌に遷都し、668年に唐・新羅連合軍に滅亡されるまでおよそ800年近く続いた勢力だった。
およそ満州から元北朝鮮、韓国と三国に渡っているので現在の地図では勢力図をぱっと見分けるのは難しい。しかも高句麗の遺跡などはその三国に渡っていて、文化・軍事面でも一大勢力だったことが分かる。
発生時期は漢王朝の頃。最後の滅亡まで幾度も隋や唐に侵略されているが、何度も防いでいる。560年、国名を高句麗から高麗と変更し、現在の朝鮮の英語訳、Koreaはこれに由来しているといわれている。
ちなみに中国が我が国の周辺国家、や地方政権と言い出したらきりがない。大体、中国は多種多様な民族が住んでいる国であって、王朝も日本のように大和民族でずっとつながっているような物ではない。
もっと言ってしまったら、中国大陸にできた国はあまり歴史の連続性がない。王朝ごとに民族が入れ替わり、その他の民族は抑圧されてきた。
だから、例えば日本が鎌倉時代に作り上げた文化はずっと日本のものだが、中国が唐の時代に作った文化は現在の「中国文化」とは言い切れない部分もあると思う。
とはいっても、現主流の漢民族は人口の9割を占める。時代によって地域を移動しながら時を過ごし、その為異民族とも同化していった。だから完璧には断絶的な文化とまでは言い切れない。
だが王朝自体は極めて断続的である。異民族が王朝を取り合って発展してきた大陸だからだ。そのため、たとえ冊封体制に入っていたからお前の国は中国の領国だ!というのは頭が悪すぎる。もとよりこれは対外政策であるし、歴代王朝が実施していたとしても説得力がなさ過ぎる。
これを元に、中国政府は沖縄まで中国のものだと言ってきた経緯も無視できない。琉球王国は明・清に朝貢していたからだ。だが琉球は薩摩藩とも関係を持っていたし、1872年明治政府は琉球藩を制定し、それまでの国王を藩主としている。そのとき、清国に琉球は日本領であることを明示し、琉球もその翌年には清国と断交している。
1879年、廃藩置県を断交する明治政府に対し琉球は応じなかったため軍隊を送って廃藩置県を強行した。いわゆる琉球処分である。ここに琉球王国は事実上なくなり、日本国となる。沖縄は列記とした日本領だ。
話は突然変わるが、高句麗も列記とした古代朝鮮三国の一つである。今回の中国政府による、高句麗は中国の地方政権というのもなんだか無理な見解である。それを言ったら冊封体制関係国は全て中国の地方政権になってしまう。
大体、満州系が元の国家だからと言っても、満州族は現在の漢民族とは違う。
満州族とは、1636年、大清帝国を築き漢民族を支配した民族である。現在は同化気味であるにしろ、古代の高句麗を我が国としてしまうのは厚顔無恥ではないだろうか。
大体、高句麗は満州系であることは事実だが、滅亡までどこの支配も受けていない。地方政権どころか、唐や隋、新羅などと独自に交戦した立派な主権国家である。
中国がこうして高句麗を今更になって騒ぐのは、そう遠い将来ではない南北朝鮮統一が実現した時の領土に関する利権から来るようにも思われる。と、簡単に高句麗の歴史を調べて書いてみたが、やはり高句麗は高句麗であるし、古代朝鮮三国の一つであることには変わりはない。
尖閣諸島についても書いたが、あれも完全なる日本の領土であって、石油利権の可能性が出てきた途端、領土問題を提起し始めてきた。
はっきり言って、利権を奪い合うのはその政府が国民に対する義務だとは思うがあまりに露骨である。
※冊封体制を知らない人に送る要約。
冊封体制とは「さくほうたいせい」と読み、中国大陸の歴代王朝が東アジアに対し用いた対外政策。中国皇帝が貢物を朝貢してきた諸国の君主に対し官位などを与えて君臣関係を結んでいた政策。
細かく書くと、君臣関係を結び中国皇帝がその地方の国を統治することを認めることを「冊封」という。が、それに対して宗主国と属国という関係を作らされる。例えば、近代でも李朝朝鮮は清を宗主国と呼んでいた。
だが、実際のところ周辺諸国はその土地特有の土産をあげれば、それ以上の返礼物を出して歴代王朝は権威を示したがったので、朝貢はただの政治的儀礼でしかなかったとも考えられる。同時に貿易のためでもあった。つまり、国によってはかなりの影響力もあったのだが他方によってはただの挨拶程度だったとも言える。
邪馬台国の女王卑弥呼が受けた鏡や金印もこれに値する。朝鮮半島の高句麗・百済・新羅もこの冊封体制内にあった。ちなみに、日本は飛鳥時代、聖徳太子の政治的手腕によってこの冊封体制から脱却し政治的に同等の国家関係を作る。
明治に日本が清に勝利するまで、一応にも東アジアにおける冊封体制は続いた。室町時代、冊封体制の外にあった日本は一時的に朝貢貿易という形で貿易をする。室町幕府、足利義満の日明貿易である。だが後に日本は戦国時代に入り、やはり冊封体制の君臣関係とは関係ないところにある。
8月5日
サッカーアジアカップの中国の反日現象について書こうと思ったけどやめた!
せっかくニューヨークにいるのだし、もう少し中国人と話し合ってから書くことにする。ただ一ついえることは黄文雄氏が語るように謝罪すべきは中国だし、反日教育を徹底しつづけているのは中国共産党だ。
黄文雄氏は台湾人で独立派だから、中国を無駄に賛美するような書籍を書くはずはない。だがやはりこの地で実感するに中国の民度とは決して高くない。むしろ低い。あの雑多な55もの言語も習慣も違う民族を支配するには、決定的な敵を作り上げるのが一番効果的だ。
大体、失礼な話だが文化大革命も分からないような若者たちがありもしないような共産党の反日的情報に踊らされているのは、正直愚民化政策かとも思ってしまう。
中国もこれから徐々に開けていく国だ。「共産党王朝」の崩壊がいつかは知らないが、もう少し教育方法を変えたほうがよろしかろう。
ニューヨークに着てからも中国人とは何人も話した。日本でも話したが、こちらではチベット民族の人間にもあった。もっと色々な人とあって話して、それから中国のことは書こうと思う。思うに、史実あるなしに歴史を塗り替えていこうとする中国政府のやり口はアイデンティティ・ウォーに関連してくる。 自国を侮辱するようなことを誇張して宣伝するための施設を大陸に作られて、それでも公然と批判をできない日本政府には残念という感情が先立つ。
※文革を知らない人へ送る要約。
文化大革命は約して文革ともいい、1965年から11年続いた政治闘争のことである。毛沢東が資本主義の道を行く実権派打倒を掲げ展開した。後に思想、文化、風俗まで打ち壊していくことになり、実質大失策であった。
死者は確かではないが約2000万人。中国各地の壊された文化と風習の価値は計り知れない。毛沢東死後、さすがの中国共産党も間違った内乱であったと発表した。
8月4日
車でエンジョイってカーセックスのことか?
日系のニュースをテレビで見ていて思った。
炎上ってエンジョイと聞き間違いしてしまうことはないかい?
ちなみに、こういうニュースの時に聞き間違えてしまった。
壁に衝突した車は炎上し、中からは重症になった・・・・・・・・・・
こう聞こえた。
壁に衝突した車はエンジョイし、中からは重症になった・・・・・・・・・・・
いや、ありえないがな。でも想像してみるとおもしろい。壁に衝突してもエンジョイしている車、怪我をしても何のその!
車でエンジョイって言われるとドライブよりカーセックスがまず初めに思い浮かぶ19歳、心の成長期です!
8月3日
無粋な中華料理
アメリカで一人暮らしをしている。
アメリカといってもニューヨークだから、大都市なので日本食は適当に手に入る。やはり不器用な男の女々しい一人暮らしには即席料理は最高の妻な訳で。乾麺のパスタや蕎麦や、簡単なものは楽でうれしい。
もちろん、料理を作るのも楽しいのだが、大学が始まればそれどころではなく忙しくなりそうなのでやはり手間がかからない食事はありがたい。
そこで重宝する簡単料理、というべきかインスタント料理に各食品メーカーから出てる中華料理のインスタントがある。
おいしいものも多いので助かる。ありがたい。
しかし今日紹介する「ごはんがススムくん」という中華即席料理である。まずくはないのだが、幾分小生には理解しきれぬ部分がある。
麻婆春雨まろやかとんこつ味中辛
・・・・・・・・・・・貴様、中華料理じゃなかったのか!!??
8月2日
突然ですが。
kasa's legitimate squareとゆうところの「騎乗位促進論」を読んでみてはいかがか。そう、世の女性、すべからく特に日本女性は心を許した夫などには自分から攻め入るくらいの気構えでセックスに望んでいただきたいと思っています。
言っとくけど、セックスってのは男体にとても負担がかかるんだぞ。(腰が)
それはそうと、自分もいつかそういう事に関する考察を作ってみたいと思う。セックスにしろ何にしろ、同じ民族でも他民族でもおもしろいようにちがう。一男児として、興味がつかないわけであります。
−−−
そんなことより。
大学に入学手続きが思っていたよりよほど困難だった。自分が出願したところは願書処理がすごく評判の悪いところだったのである程度予想していたがここまでとは思わなかった。自分は英語を慣らすためと称して九月入学の前の六月から現地入りして語学学校に通ってみた。出願の受理は恐ろしい。失敗したら大学に入れないからだ。六月からアメリカに来てよかったと思う。詳細は後で残すとして、今とりあえず言えることは合格手紙をもらっても油断できないということ。そして理不尽な理由で大学の合格が手に入らなかったり、意外と甘い基準でも名門大に入れるということだ。しかも英語でやるのは中々疲れる。特にニューヨーカーは喋りが早くて疲れる!とりあえず、これから出願する人も合格と言われていても一月前には現地入りしたほうがいいかもしれない。でもこんなことでいちいち疲れていたらアメリカで大学生なんてやってられないのかもしれないなぁ。
−−−
政治も、日本の郵政、対北食糧支援、ドイツの在独米軍減、色々と難しそうですなぁ。何よりドイツの米軍が縮小するのはうらやましい。ドイツは雇用が減るからいやだという意見もあるらしいが。うぬぁあ。
ちなみに自分は日本は新憲法がなれば雇用拡大があるんじゃないかと思う。やはり人は思想よりも利益についてくる。
8月1日
一発ネタ・デリヘル
デリヘルで来た女の子に・・・・・・・・・・・・・・・・・
チェンジって言われた!!
終
8月25日
八日目、ニューヨーク。
この日に帰ってきた。オランダのスキポール空港からニューアーク空港で。
スキポール空港は内部に博物館があったりして面白かったです。ヨーロッパ最大規模といわれる免税店は、結構広かったです。何より驚いたのが、香水売り場のお姉さん。オランダ人だと思ってたら日本語で話しかけられた。なんか柔和で、親しみの持てる綺麗なお顔だなぁうへへへと思ってたら、なんと日蘭のハーフだと。はー。
ヨーロッパは街並みだけでも楽しいところでした。疲れた。アメリカに帰ってきたときに一番うれしかったのは、「英語が通じること」でした。結構通じない人いるんだもの。
−−−
アムステルダムの娼婦
メールで聞かれたんですが、飾り窓のお姉さんは買わなくとも、暇な時間帯や多少のお金、おみやげがあると前日に書いたように話に付き合ってくれたりします。他にもギリシャの女性によく話を聞いたんですが、その人は綺麗な彫りの顔で色白、細く、しなやかな美人さんでした。顔が凄く綺麗なのには結構驚きましたよ。この人は日本文化に興味があったみたいで仕事そっちのけで話してくれました。ほんの少しの勇気があれば話しかけてみるのもいいかもね。
8月24日
七日目、アムステルダム。
オランダ、飾り窓情報。
オランダの世界的に有名な売春地帯、売春してる娼婦のお姉さんとちょっとお話してきました。
初めに、ヨーロッパの売春・娼婦事情。
EUの成功は、国家間の経済格差からくる経済的、文化的摩擦を乗り越えられるかにかかっている。それはもちろん、加盟国同士を自由に行き来できる協定を結んでしまった国の必然的な責任であり、拡大する勢力圏の民族的差別を助長するのも経済的格差である。
ここで言う経済的格差とはすなわち、各国各層の格差ではなく当然国家間の格差である。いわゆる冷戦時代の西側、イギリスなど西欧とドイツと東側社会主義国、東欧諸国の貧富の格差はEC改称・EU発足の1993年から10年を越えた今でも埋められていない。埋められていく気配すら感じない。
そのなかで、外貨(と表現するとおかしいが)を簡単に取得できる方法はやはり売春になってしまう。オランダ政府は2000年、ドイツは2001年、正式に売春を合法と認めた。フランスも売春は禁じられていない。ちなみに、フランスの職業的売春婦は約二万人でその半数はパリで働いている。驚くべきことに、その三割はゲイなのだそうだ。フランス国内は、職業的ではなく売春をする人は七万人ほどいるといわれている。
ヨーロッパで驚くことは、しっかりと仕事を持って給料もよく、学歴も高かったりしても臨時収入や趣味のために売春をする人がいる事実である。フランスでもこの傾向はある。
さて、話を東欧との経済格差に戻す。91年、ベルリンの壁が壊れゲルマンの悲願がなった時期、東側に大勢の労働者が押し寄せた。その中には自分の体を二束三文で売る女たちもいた。今まさに、ルーマニアなど東欧諸国から押し寄せてくる外国人労働者たちに西欧は政界、経済界ともに悩まされている。特に問題となるのが東欧から来る売春婦である。
売春婦と書くと印象が悪いかもしれないが、労働者である。一般論で申し訳ないが、東欧の女性は堀が深く体型もよく美人が多い。むしろ西欧よりも多い。これは西欧人もある程度認めている事実であるし、実見してみればわかる。そのような美しい女性が、大して高くもない「料金」で「買える」のであれば男達をなだめるべき明確な理由を私は持ち得ない。
東欧から西欧へ流入してきた娼婦はここ10年で50万人ほどになるという。資本主義が生む、経済格差の必然的現象の一部であるのがヨーロッパの娼婦である。そこにはもちろんマフィアも関わっていれば己の意思のみで売春を職業にする人達もいる。
ヨーロッパは、娼婦が歴史的にも必ずしも地位が低いとは限らない。娼婦が王侯貴族と結婚してもおかしくはない。日本で日本人が売春をする行為とは人類学的視点から見ても恐らく多分に違和感が生ずるものと考えられる。とはいっても、やはり娼婦は娼婦としてそれほど身分が高いわけではない。
簡単ではあるが、上記がヨーロッパの娼婦、売春の実態のである。自分は娼婦を悪いとは思わない。高く売れるから売る女がいて、それを嘲笑する女もいる。売らなければいけない女もいて、好きでやっている女もいる。行為そのものを否定することは簡単だが、背景全てを否定するのは不可能である。売春は女性最古の職業だとも言われる。ただ一番自分にとって問題なのは、この綺麗な女性の顔と呼吸が、一体何人の男に乱されてきたのだろうと妄想してしまう罪作りな自分の思考である。
−−−
オーストリアの娼婦
・・・・・・・・・・・・だから、ベッドシーツ直してるんだ。
そうよ、お客さん商売なんだから。終わった後にシーツが乱れてたら、誰でもその前のことを考えちゃうでしょう。 フフ・・・・・・・でもおかしなもんよね。 ファックすることがお仕事なのに、一人相手にお仕事してるわけじゃないんだから、ね。 でも、気持ちのことだからね。
でもなんで? 僕がシーツを乱したわけでもないのに、綺麗なシーツを伸ばすのは。
そうね、癖なのよ。ファックの時に、わざとらしくいやらしくするのと同じようなものでね。 だから、彼氏は私とファックする時はいつもうれしそうにしてくれるわ。 やっぱり、毎日ファックしてるんですもの。 ファックは誰にも負けないわ。
(ファックね)・・・・・・・・・・・彼氏がいるって、アムステルダムに住んでるの? オーストリアから来たって言ったじゃない。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・そういえば、体に何か光るものつけてるけどそれは何?
ここに住んでるのよ。彼氏はオランダの普通の会社員。 体についてるのはねぇ、カラーライトで光るのよ。それに、何回もファックするとどうしても体が汚れてきちゃうから、紛らしてるの。 ねぇ、それよりいいの? そんな服着てると目立っちゃうじゃない。
着物ね。目立って困ることなんかあるもんかい。むしろ、最近貧弱に見られてる日本男児は、ホントは性欲の鬼なんだってことを見せ付けてやるのさ。 それにこの飾り窓って、繁華街とつながってるからだいじょぶだよ。
あら、日本人はもっとシャイだと思ってたわ。・・・・・・・・・・・・・・・あなた、ヨーロッパに観光できたんでしょ。 オランダだけじゃなくて。 彼女は放っておいていいの?やっぱり白人を抱いてみたいとか?
いや、独り旅だから彼女なんていないよ。 国にもいないし、どこで誰とエッチなお話をしようが浮気にならないよ。
へぇ・・・・・・・あなたも変わってるのね。 ここに遊びに来るなら男だけでもいいけど。 普通ヨーロッパに来てパリやロンドンに行くんだったら、一人で行くものじゃないわよ。何が楽しいのかしら。 ・・・・・アムステルダムにはファックのためにきたの? オランダなんてファックとマリファナの国なのよ。
ああ・・・・・・・・・・・・・そうですか。彼女がいないとヨーロッパは来るべきではないのですか。 でも、ここはきっと彼女がいるやつはあんまり少ないでしょ。 そういえば、足、凄く長くて白くて綺麗だよね。 オーストリアって言ってたけどゲルマンとも少し混じってるの?
あら、グットレッグてほめてくれるの。 私のおうちはずうっとオーストリアなの。だからオーストリア人よ。
(そういえば、混じってるどころかオーストリアはゲルマンが大多数だったな・・・・・・・・)だから、足も長くて色も白い。凄く綺麗だよ。 そういえば、なにか鍛えてるの?腹筋とか、腰がきゅうって締まってるし、腕も細いのに結構筋肉あるよね。
あはは。よく聞かれるの、ジムか何かで鍛えてるのかって。 違うのよ、こうね、腰をよく使うのよ。(腰を回しながら) いつもそう聞かれるとこう答えるの。 「私は何もスポーツはしてないわ。ただファックしてるだけよ」って。 知ってるでしょ、ファックは全身の筋肉にいいの。気持ちいいし、汗もかけて最高のエクササイズなのよ、ファックは。 毎日仕事でファックして、家に帰って彼とファックして、ファックしてれば自然とスタイルはよくなるの。 ファックはね、こう、腰を回すから、自然とお腹やお尻の筋肉がスリムにつくのよ。みんなファックのおかげよ。
・・・・・・・・・・・ファックを連呼する目の前の快活な美女。 うっすらとさわやかな笑いが頭の中に起こるのは僕だけでしょうか。
8月23日
六日目、アムステルダム。
フランスはさすが農業立国、とい感じだったけどこちらはさすが港湾都市という印象。電車で来たときは線路より上に水路があったり、アムステルダムには水上バスがあったり面白い町です。まぁ、湿気が多くてたまらんのだけど。
ユダヤの悲劇、アンネ・フランクの家・・・・・・・・・・の一階部分。アンネ・フランクが隠れ家に使っていた部分は上階なので、下は売店になっていた。でも朝から非常に込んでたので見学は断念しました・・・・・・
これはアムステルダム歴史博物館。暇だから行ってみました。意外と絵画が多かった。
その後国立ゴッホ美術館に行ったのですが、大雨が降ってきたため撮影してません。アムステルダムもニューヨークと同じように、いきなり大雨が降ってくる。
で、上の傘はゴッホ美術館辺りで雨に困っていたところ親切な女性に余っていた折りたたみ傘をもらってしまいました、とゆう写真。優しい人はどこにでもいますねー。
ええと、アムステルダムと言ったらセックス、ドラッグ、安楽死などが容認されている自由の国として有名ですね。個人的にはアメリカの数倍自由だと思う。
で、自由の象徴か分からんですがマリファナ、です。撮影させてもらいました。自分は煙きらいだからタバコすら吸わないんですけどね。
アムステルダムに何店舗も展開するコーヒーショップ、ザ・ブルドックのライターです。記念にだと。そういえば、パリで同室したメキシコ人にペソの硬貨を記念にともらったのを思い出しました。アムスの記念は大麻の火ですか。
ちなみに、カフェが酒やお茶で、コーヒーショップは主に大麻を売ってます。
アムステルダム・飾り窓調査
・・・・・・・・・・この日は大雨が降ったことと、少し寝坊してしまったこともあってこれくらいしか観光していないんですよ。で、もちろんアムステルダムで男が観光と言えば、そう飾り窓です。世界的に有名なアムステルダムの飾り窓、実態調査を2日に分けてしてみました。
さて、女でも買いに行くか見学にでも行ってくるかと夜の町に繰り出したのは2日とも大体9時ごろ。近くの唐人街、いわゆる中華街で夕食を取って覗きに行ったのは大体十時過ぎから。
アムステルダムの飾り窓のレポートとして、まず最初に言っておくべきは場所です。ガイドブックにも載っている飾り窓地区とは、旧教会から運河沿いにかけてを大体さしていますが、これは大きく的を外しています。
この運河沿い、大体が観光客用になっています。つまり、美人さんはあまりいません。やはり知ってる人のほうが得するように、路地を入っていったところに綺麗な方々が集中しています。
地図で示した方がわかりやすいのですが、本当に行こうと思ってる方なら旧教会から運河沿いに戦没者慰霊塔、もしくはクラスナポルスキーホテルの裏までの道をじぐざぐに入り込むことをお勧めします。
相場は大体50ユーロ。日本円に換算すると高くはないでしょう。ただ日本人は大方英語が苦手な上にだまされやすいのでふっかけられることもありますので注意してください。
ちなみにSMプレイやデブ専の娼婦もいます。(化け物かと思うほど太ってる)こちらはもう少し高めです。
街婦には赤いランプ・・・・・・・・・・ですが、夜になる前から赤いランプをつけています。赤いランプは肌の粗をかくしますので、気をつけてください。つまり若く見えます。
もちろんですが夜のほうが回転率は高いです。夜十時くらいからが一番興ののる時間でしょう。
人種、国籍ですがやはりオランダ人はほとんどいないみたいです。多いのは東欧人、アジア人、黒人、アメリカ人などです。主に東欧人が多いでしょう。東欧と言っても、トルコのように少し混ざってるところもいれば、ギリシャなどのように全くの白もいます。
意外なのは黒人です。ヨーロッパ出身の黒人が多いそうです。やはり北アメリカ、もしくは東欧系黒人です。例外ですが、黒人も白人も西欧からも来ています。
アジア人は主に東南アジア。やはりタイ人が非常に多いです。後は中華系です。ですが、美人がいる地帯にはあまり黒人とアジア人はいません。白人の方が多いです。
好みの問題もあるでしょう。土日はドイツなど隣国からも国境を越えて買春に来る人達もいますし、今のように夏だと休暇で世界中から人が来ています。ですが主に欧州にわざわざ来る人はヨーロッパ人を抱きにきているのでしょう。
欧州連合の成功の是非は労働者問題にかかってくると考えています。経済格差から来る移民、流入は避けられない一種の貿易です。アムステルダムは歴史的にアメリカよりはるかに長い移民の歴史を誇っています。ですがやはり売春小屋で売春をする方々はいくら綺麗でも東欧人が多いのは事実です。
そして、この飾り窓には欧州の労働者(売春婦)の流入として顕著な特徴が見られました。それは南米人が少ないことです。
ラテンアメリカはコロンビアやブラジルなど海外でも売春が盛んな国です。メキシコは地理的には北米ですが、メキシコ人も多いです。ですがここにいるアメリカ大陸系と言えば、小遣い稼ぎできているアメリカ人くらいのもので、自分には経済格差と政府の娼婦に対する対応の違いと受け取れます。
まぁ、だから東欧の方をヨーロッパで買いたいなら手っ取り早いのはオランダ、ということになるのかもしれませんが。
さて、交渉ですが大体50ユーロで「サック・アンド・ファック」になります。
ファックは分かりやすい英語で、そのまんま性交ですが、サックは吸う、と言う意味です。つまりフェラチオのことになります。
テクニックごとに値段が変わります。体位を変えるには事前に契約をしておかなければならないこともあるそうです。
ただこれは慣習法で、何も法律があるわけではありません。何も言わない女性は何度体位を変えようが、時間を気にせずやろうか問題ないです。
ひどい話では、「フルストリップ」でない場合は服を脱がず、パンティをずらしてそこから「進入」とゆうこともあるそうです。英語が苦手でもがんばって話してみることは大事だと思います。
ちなみに、女性らほぼ全てがかなり流暢な英語をしゃべります。オランダ語と、英語と、母国語はかなり話せる人、というのも珍しくありません。
個人的には海外風俗で外貨を落としまくる日本人観光客は好ましくありませんが、英語が通じるのは楽な要素の一つでしょう。
ちなみにこの飾り窓地帯にはかなり多くのポルノショップ、セックスライブ、ストリップなどがあります。ポルノショップのビデオやDVD、本などは無修正、おまけに獣姦、ロリータ、などなんでもありです。
店に入らずとも、外にパッケージがものすごい量貼られています。複数で少女(小学生くらい?)とのプレイしているものや、明らかにクスリを打っているだろう女性のビデオのパッケージまで様々です。 ここは町の繁華街ですので、普通に女子高生なんかも通る道なのですが、彼女らもなれたものです。恐らく、オランダほど性規制のゆるい国もそうないでしょう。
それでは皆様の性交を・・・・・・・・・・・じゃない成功をお祈りしています。
それと最後に、次回は実際に娼婦の方々に色々話を聞いてみたことを書きます。お姉さん方、結構あっけらかんとしてて楽しかったです。
8月22日
五日目、アムステルダム。
朝から欧州鉄道、タリスでパリ東駅からベルギーのブリュッセル南駅へ。
鉄道マニアなら喜ぶのだろうか。パリ発、タリスです。
ベルギーに着いた!ということで南駅から中央駅に移りワッフルを食べる。
ちなみに、こういうワッフルはリエージュワッフルと言うらしいです。他にも、ブリュッセルワッフルというのがあってそれにはクリームやらなんだらがワッフルの上にある豪華なものでした。もしかしてベルギーワッフルというのは日本国内の呼び方か?
ユゴーが世界で最も美しいと称したグラン・プラス大広場。
グランプラスにある市庁舎。
市立博物館になっている「王の家」。王が住んでいたことはないそうな。
このグラン・プラスの大広場は建物がどれも古くここだけ時代が変わったような印象を受けました。大広場といってもそんなに広くないけど。
ブラバン公爵の館。ブラバンはフランス読みで、地元ではブラバントです。1993年のベルギー憲法改正まではブラバント公領なんて一州を持っていたそうな・・・・・・ヨーロッパの王族・貴族はいまだに力持ちですね。
グラン・プラスからすぐ。触ると幸福がもたらせるというセルクラースの像。
少し歩いてここ、本家本元小便小僧の像。衣装替えもあるそうですが本日はフルヌードでした。
ちなみに小便小僧の製作年は1619年。世界中から衣装が送られているので世界一の衣装持ちといわれるブリュッセルの小便小僧ですが、衣装が送られてくるのはなにも彼が裸だからではありません。
フランスはルイ十五世の兵士が酔っ払い、彼を盗み出したためブリュッセル市民がデモを起こし、そのためルイ十五世が謝罪に金の刺繍が施された宮廷服を彼におくったことが起源だそうです。
それから、日本から送られている衣装には桃太郎の衣装もあると聞いたことがあるのですが本当でしょうか・・・・・・・・ 衣装は、王の家に保管されています。自分は休館日で入れなかったけどね!
にぎやかなイロ・サクレ地区。レストランが多く、日本観光客を狙った詐欺も多いです。
レストランが多かったですけど、昼飯は日本食を食べました。ブリュッセルで一番高級だという日本料理屋、田川に足を運んでみました。
おいしかったですよ。店内も広くて、内装もよくて。それより女性みんな和服姿というのがよかったです。さすが欧州の日本食店。
イロ・サクレ地区の目立たない細い道に鎮座する女の子版・小便小僧、ジャンケネ・ビス。柵に囲まれているので写しづらい。こちらは1987年作。製作理由がよく分からないのだけど、ただ単に観光名所にしたかったのだろうか?
意外とリアルに作ってあるので卑猥です。黒くてかてかしてるのでよりいっそう卑猥です。だって少女なんだぜ?
ブリュッセルのアーケード街、ギャルリーサンチュベール。そんなに長くないのだけど、完成したのが1847年でヨーロッパでもかなり古い歴史をもっているそうな。 何も買わなかったけどね。
上はブリュッセル公園。下は国会議事堂。隣接しています。中々すがすがしい公園でしたが、昔はブラバン公の狩猟場であった上、ベルギー独立戦争ではオランダ軍との戦地にもなったとか。
これは王家博物館の門。実は、本日は月曜日でして博物館の類はほとんど閉まっておりました。何のためにブリュッセルによったかわかりゃしねぇ。
王宮。写真の印象よりははるかにでかい。
上はEU委員会本部、下はEU理事会。なんでベルギーがEUの中心地になるのだろうとも思うけど、地政学的にはばつぐんですよね。
ブリュッセルの凱旋門。サンカントネール公園にある。このサンカントネール公園の凱旋門、フランス革命反対者の神聖ローマ皇帝レオポルド二世が命令して作ったそうだけどなんと建築者の名前はジローだという。
もしかして次郎か?と思って調べたら綴りはGiraultだった。何でこれでジローって読むんだよ!がっかり。
公園内にある王立軍事博物館。もちろん閉まってたよ。
凱旋門の上。
さて、ベルギーはオランダにいく途中寄っただけです。朝にパリを出れば、五六時間はうろちょろできるだろうと思ってたので、夜になる前にブリュッセルを出てアムステルダムに向かいました。ヨーロッパは鉄道移動が国家間を超えているのに結構楽です。向こうに着いたらもう夜。
これはアムステルダムの中心地にある戦没者慰霊塔。
同じくアムステルダムの中心、ダム広場にある王宮。夜ですがそれなりに雰囲気がありますね。
はい、もちろんアムステルダムの夜ですから?有名な飾り窓は忘れられませんよね?とゆうわけでハンブルクも有名な飾り窓ですが、アムステルダムの方が有名だろうと言うことで乗り込み調査してきました。
乗り込み調査と言うと聞こえが悪いかな?実情調査をしてきました。この日の夜と翌日の夜、働くお姉さんたちとも話してきたのでそこらへんは明日書きます。てゆうか正直に書くと主に娼婦の方々に多を話を聞いてきました。これはエロさだけではなく、これからの欧州圏の重要な問題だと思います。・・・・・・・・・・・が、やっぱり綺麗なお姉さんはいいよねぇ。ハ、ハァハァ!
8月21日
四日目、パリ。
朝からルーブル美術館へ。
上手く写してないけどルーブル美術館。とりあえずでかい。でかい。でかい。
内部の像。屋根が高い。
内一部。
館内の鏡で自分撮り!
とりあえず展示物が多い。下を向いてられない。
本当に多い上に狭く置いてあるのでありがたみがない。
ぼやけているけどモナリザ。
そういえば、館内でもまた写真に一緒に写ってくれといわれた。みんな好奇心旺盛だなぁ。
それと、オルセー美術館もオランジュリー美術館も時間が無くて見にいけませんでした。ルーブルは展示品が多すぎて、じっくり見たら一週間でも見終わらない気がします。
シャンゼリゼ通りと凱旋門。
凱旋門を登って撮ったエッフェル塔。ちなみにパリの凱旋門の名前はエトアール凱旋門。墓にもなってる。
モンマルトルのサクレ・クール聖堂。綺麗。モンマルトルの坂道は、なにか日本の長崎に少しにてるな、と思いました。
テルトル広場。やはり絵が書かれてたり売られたりしている。
パリの印象ですが、どこか素朴でそれほど華美ではないと思います。華やかそうに見えても実際はおとなしい。貧富の差・・・・・・・と、いうよりは一般的にそれほど差が無く、それ程金に余裕があるとは感じられませんでした。
ファッションの町ですが、確実に着こなしはロンドンの方が上。小奇麗におしゃれなロンドナーはとてもまずい飯しかなく面白くないイギリス、という印象を打ち崩してくれました。
対日感情としては、詐欺をしようと寄って来る人もいますが適度に声をかけられたりそう悪くないようでした。 男の子たちに追いかけられて、ジャポネ、コニチハ、コニチハ!と言われたのですがそれを見守る親たちも至って安心している。
飯は、やはりパンが、特にクロワッサンはおいしかったです。複雑なソースを好むフランス料理ですが、意外とシンプルなものもおいしい。舌がよければ当然かもしれませんが。
あと、中国人経営の日本食料理店がかなり多かった気がする。あまり人気はないみたいでしたが。
最後に車ですが、アメリカは本当に日本車が多い。アジアも日本車が多いと聞きます。しかしヨーロッパは、この後ベルギー、オランダと行くのですがどうも欧州車が多い。
もちろん、車大国日本の車を見ないことなど無いのですが、ここらにはヨーロッパの保守的、あるいはやや排他的な面も見れます。ルノーなどが多いのはフランスならば当然ですが、今回の東ヨーロッパで思ったのはなぜかフォルクスワーゲンの車両の多さ。なぜだ?
やはり、車と言えばドイツ車、というのはある意味ステータスなのかもしれない。でもベンツやBMVは高いから、VWを・・・・・・・とか。いや、少し違う気がする。調べてみると面白いかもしれない。
パリに限らず、都市は地下鉄を持っているのがすごく主流である。もちろん、計画当時の地政学的な意味面もあるのだろうけど、現代に至っても電線などを地下に隠し続けるのは景観を守るためでしょう。高層ビルも東京やニューヨークに比べるとほとんどないパリやロンドンの街並みだけれど、面白くて誇りを感じる。
あと、パリは夜が遅いですな。夏だからということもあるけど、九時くらいにならないと暗くなってこない。
8月20日
三日目、パリ。
朝からロンドンからユーロスターを使ってイル・ド・フランス・・・・・・・・フランスの中心、パリへ。
数々の物語の舞台となるパリ東駅。
ホテルはまたユースホステルにしました。ヨーロッパはユースだけで旅できそう。
名前はシテ・ド・シャーンス。
はっきり言って勧められません。人達の雰囲気はすごくいいのに、バス・トイレの設備がかなり悪い。
自分の階なんかトイレの便座が全て壊れて取れてましたから。バスも汚いし。
それにしても、"Cite des Sciences"でシテ・ド・シャーンスと読ませるなんて、フランス語は全くもってわからない。
パリの中心地、シテ島にあるゴシックの最高傑作といわれるノートルダム大聖堂。
ちなみに、これはノートルダム大聖堂の入り口に吊られている知らせ。「ようこそ」が「よこそう」になってるのに誰も教えてあげないのだろうか。
この後、隣のサン・ルイ島にある有名だそうな寿司屋、勇寿司に行ってみましたがなんと閉店中。なんてこった。
しょうがないのでパンを食べてました。フランスのクロワッサンはバターがきいていておいしい。そういえば、ロンドンで食べたおいしいクロワッサンもデリカ・デ・フランスとかいう名前だった気がする。
この写真はパリ第三・第四大学、いわゆるソルボンヌの校舎の一部。
これは恐らくリュクサンブール宮のどこか。分からない・・・・・・・
こっちが本物のリュクサンブール宮か?写真が多すぎて混乱してきた。
下はリュクサンブール公園。ちなみに、リュクサンブールはフランス語でルクセンブルクともとれる。
自由の女神、原像だそうな。原像は意外と背が低い。
リュクサンブール公園は結構広く緑も多く、まさに憩いの場所と言う感じでした。ここでは日本人の女性・現地の人間というカップルに声をかけられた。ロンドンでもこのパターンの人に声をかけられた。だからどうした。
見づらいけど、フランスの伝統球技・ペタンクをやる人達。
玉に下手投げで玉をあてたりして勝敗を競う。伝統球技と書いたけど、実は一般的になったのはここ100年未満で現在の形におさまったのも100年未満である。
伝統、というのは、またフランス人でもそう思っているのはペタンクの起源が古代にまで遡るから。
ナポレオンが眠るアンヴァリッド。元々退役軍人を収容する施設だったのですが、フランス革命時にバスチーユを落とす武器を奪われることになった場所、その後に現在の形に。軍事博物館とかもあるそうな。
エッフェル塔を見上げる。
ちなみに、エッフェル塔には登りませんでした。人々並びすぎ。またの機会に。
写ってる人全て観覧希望。左右から登れるので、これと同じほどの人数がもう片方に並んでいた。
エッフェル塔を眺めていたら、バルセロナからきたというスペイン人仲間に写真を頼まれた。 撮ってくれ、と言うのかと思ったら「一緒に写ってくれ」
だったので撮りました。一応顔隠しね。つうか、写真一緒に写ってください、なんてさ、俺はエッフェル塔のミッキーじゃねんだよ。見えないですけど、顔は満点の笑顔ですが。てゆうか全然いやじゃないです、着物はやはり珍しいだろうから。
ちなみに本日の落ちです。
エッフェル塔近くで見かけたヨーロッパ風の建物に並ぶ中華料理店、その名も金玉園。
きっと、宮廷文化を催した金の玉がいっぱい転がっている園なんだろうね☆
8月19日
二日目、ロンドン。
どこにどういう順に行ったかはっきりしない・・・・・
世界最大規模の博物館、大英博物館。
中は広い、高い。本当に広い。
館内の像。ぶれててわからりづらいけど、ちんちんが折れている。
何体もちんぽが折れている男子裸像がありました。きっと、大勢の人に触られて磨耗して折れてしまったのかもしれない。痛々しい。
大英博物館は、下を向くのが惜しいほど数々の素晴らしい展示であふれかえっていました。日本のものも、葛飾北斎等思わずうめきが出るほどのも。
次は帝国戦争博物館へ。世界中を散々荒らしたイギリスですが、入館する前には「戦争の痛みを理解できないものは入場する権利が無い」と書いてある。うろおぼえですが。
トラファルガー広場。
ネルソンの英国艦隊とフランス・スペイン連合艦隊の決戦、トラファルガーの海戦は有名だよね。
広場に隣接しているイギリス・ナショナルギャラリー。写真だけとって入りませんでした。
バッキンガム宮殿。世界文化遺産らしいよ。入りたい。
ロンドン博物館にも回ってきました。British MuseumではなくLondon Museumの方。 正確にはMuseum of Londonだけれど。
どっかからの写真。テムズ川沿いのロンドンブリッジ。
今日の最後に、何と言ってもこの日一番の出来事はトラファルガー広場で宗教の勧誘をされたことです。
男女一対の若人二人に「ニーハオ」と声をかけられた後、「一緒に聖書を学びませんか」ときたものだ。
神道と仏教の国、日本から来たこの俺にキリストを勧めるとはなんて無礼なやつなんだ・・・・・・・・と思ってたら渡された勧誘のビラには日本語で「エホバ」の文字が。
うわー、エホバの商人だ。じゃない、エホバの証人だ。
8月25日
帰ってきました。ええそりゃあもう疲れました。
六日ほどで四カ国を回るというあほな旅程を淡々とこなしてきました。順路はロンドン→パリ→ブリュッセル→アムステルダムです。それでは、簡単な報告だけしておきます。
模様一つ、材質一つ。床から壁から、匂いから物の動きから。何もかも興味深く見えた初めてのヨーロッパでした。
8月18日
一日目、イギリス・ロンドン。
ニュージャージー州のリバティ・ニューアーク空港から英国へ。
ロンドンと言えば、ヒースロー空港が有名ですがガトウィック空港に。
ニューヨークからロンドンは七時間の旅。それ程近いわけでもない。
宿はEarls Court Youth Hostel。内装は結構新しいです。中心部にも近いし。
ホステル内からの光景。アメリカとは全く違う欧州の家造り。
到着したのは昼前だったので、荷物を置いた後軽く観光に。
国会議事堂、ビッグベンの時計。高い建物だ。鐘の音が鳴り響いていた。
議会政治発祥の地。ちなみに正式名称はウェストミンスター宮。
ビッグベンのすぐ近く、ロンドンを見渡せると言う面白形の観覧車、ロンドン・アイ。
英国王室行事の舞台となる教会、ウェストミンスター宮。中は素晴らしい装飾と彫刻の数々だが、偉人たちの墓場になっている。
こちらはセントポール大聖堂。正面がなにか修理中だったらしいので少し裏側から。 セントポール大聖堂は素晴らしいので、ぜひ見に行った方がいいですよ。
何か工事中なため一部しか外観が見えないセントポール大聖堂の正面。
ちなみに、イングランドはかなり親日的な印象を受けました。 街中を羽織袴で歩いていて、中国人に間違われることもまずないし、日本国旗の日の丸のシャツを着ている人も見かける。
こちらが日本人だと分かると柔和な対応をしてくれる。なにより、アサヒビールのでかい駅の広告には日の丸がでかでかと貼ってある。外国で日本製品のCMに日の丸を使うのはあまり見かけないのでとても印象的だった。
親日的要素は王室と皇室関係もあるかもしれない。
それと、やはりと言ってはなんだがインド人が多い。大英帝国だからか。多いとは言っても、もちろんマイノリティではあるが。
英語も公用語だし、旅行しやすい国です。
8月18日
突然ですが、ちょっとヨーロッパに行ってきます。イギリス・フランス・ベルギー・オランダと。
ニューヨークからは大西洋は狭い、ということで留学している今のうちに・・・・・・・・・と。
それじゃ行ってきます。
8月17日
一発ネタ
クソゲーってさ
スカトロジャンルのゲームのことだろ?
8月16日
昨日は終戦記念日でした。英霊よ、安らかに。
−−−
韓国で「脱北者村」を作る計画が明らかになった。 北朝鮮から韓国に亡命して来た人達は中々馴染むのが難しいから、ソウルの近郊にその人達を集めた町を作ろうという計画だ。
ただ、この計画を進めているのはキリスト教関係者。村の名前は「統一村」と今のところ想定されている。
韓国・統一・キリスト教。・・・・・・・・・カルト教団の匂いがするのは俺だけですか?いやぁ、統一をスローガンにするのは分かるけどね。
−−−
アテネオリンピック、日本勢は開始からメダルラッシュだそうで。 ああ、日本のテレビが見れないのが悲しい!
8月14日
ニューヨークの引き篭もり 2
いやまあ、引き篭もりって程じゃないんだけど。
本日はこんな一日でした。
一歩も外に出ず、旭屋書店で買った漫画を読む一日。来月からの授業何を取るかカタログを見ているだけの一日。目が覚めたら12時過ぎてていこうと思っていた道場に行けなかった一日。
つうか昼夜逆転気味の一日。
いや、何よりそれより、一番だめだと感じたのは
2 ち ゃ ん ね る 見 て 「プッ」 と 笑 っ て る だ け の 一 日
うはぁ。俺ってば人生無条件降伏☆
8月13日
自分の名前はタカヒロであるのだけれど。
母国語によっては「タカヒロ」とちゃんと発音できなくて「タケヒロ」と呼んでしまう人も多い。なので「タカ」と呼ぶ人もいる。
Takahiroとゆう文字を書いて「タカハイロ」と呼ばれたこともある。台湾人や韓国人は日本名よりもっと発音が外国人に難しいので、英語名を持つ人も多い。(他の意味もある)
自分は親から授かった名前に何の不満もないが、「将来外国でも通用するように」とかぬかしながら英語のような名前をつける親も別に悪くはないだろう。その方が欧米では楽かもしれない。いっそのこと、日本人も英語名をつけてしまえばどうか。
ただ普通に暮らしていれば外国人と話す機会もそう多くないとは思うが。誰にも呼ばれることのない英語名。てゆうか自分の名前にくらい誇りを持て。
8月12日
男女不差別教育は文化を壊そうとしている
・・・・・・・・・と思う。共産主義者やもてない男や女の陰謀なんじゃないだろうか。
2004年、ついに東京都教育委員会が「ジェンダーフリー」とゆう用語を教育現場から排除することを決定した。
男女を平等に扱い、教育するというのはある場面においては必要かもしれない。だが、行き過ぎたフェミニズムという観念は好まない自分にとって、この教育法は単にこれまでの文化・道徳を壊してしまうのではないかと危惧していた。
実際のところ、「男らしさ」や「女らしさ」を捨てさせる教育だったわけだ。あまりにも極論かもしれないが自分はそう思う。当たり前だが女は女らしい方が可愛いし、男も男らしいほうが頼りがいがある。
大体、男女人間の中性化などして何になるのだ。
自分も「男女差別のない」教育を少なからず受けてきた。 だからか、同年代にはあまり男らしいやつが少ない気もする。
高校までを振り返ってみると、やはり自分も相当女々しい男子だったと思う。尚、今も到底男らしい人間ではないけど。
「女々しい」なんて言葉もジェンダーフリー教育の中では禁句だった。そんな女々しい、または男勝りな教育を受けた自分ではあるが、父は「武士の家系で九州男児」といういかにも男女平等からかけ離れた人物で、その背中を見て育った自分は常にこの教育法方に疑問を持っていた。
父の男女観も当時の教育現場からは相当かけ離れていたと思う。それはよかったことだろう。 実に地域性に基づいているが、歴史性に普遍な感覚を得られたと感謝している。
男らしさも女らしさもない教育なんてのはただ単に男の根性と、女の強さを壊すだけのつまらない教育だ。 一国の教育とはその国々の歴史に根付いて脈々と受け継がれていくものでなくてはならない。
だから、男女平等教育がこれから崩れていくのはうれしい限りである。どうせなら男女の道徳感覚を取り戻すために教育勅語も復古してしまえ。現代語でいいから。 これからきっと日本はゆるやかに右傾化が進んでくるぞ?きっと。
8月10日
現在は、日本の大学でもセクシャルハラスメントのカウンセラーがいたりします。様々な学生のケアをするのが大学のひとつの仕事だというのも普通になってます。
だから、アメリカの大学ももちろん生徒の悩みをどれだけケアできるかというのは留学生にとっては非常に重要な部分であると思うのです。
で、アメリカの大学は国柄かアルコールのカウンセリングやタバコがやめられない人のためのカウンセリングがあるんですが。
で、面白いことに中にはドラッグカウンセリングというのがあります。
文字通り、麻薬中毒になってしまった人達を助けるための部門です。麻薬とはいっても、マリファナなどの軽いものではなく覚醒剤などの重いものを主としているそうです。
何というか、アメリカって・・・・・・・・・・と思わされました。
−−−
6日以降が適当なのは、倦怠期だからですよー
8月9日
アメリカの大学教育と自然史博物館
今日はごみを捨てる以外表に出ない素晴らしい一日でした。
と言ってもただごろごろとしているわけでもなかったんだけど。何をしていたかというと、これから大学で取るべき授業を探してました。いわゆる授業のカタログ。シラバスともいうものを。
で、これが自分が学ぶ大学のシラバスです。
無駄に分厚い・・・・・・・・・・・・
この厚さ分、本当に学科や科目ことがみっちりと書かれています。アメリカの大学教育は世界一の提供科目数を誇りますが、これだけあると大分無駄に思えてきます。
大体、似たような授業などがいくつもあったりするし、ただでさえ全米トップランクの古さを誇る自分の大学は科目数も無駄にあります。やはり古くてでかい総合大学の方が科目も授業も多いです。
何はともあれ、英語に耐性のない留学生のとってはこんな分厚い授業案内はただ単に混乱のもとにもなりえる気がする。願書のプロセスも大変だけど、授業選ぶだけでも大変だこりゃあ。
−−−
そんなことを書こうと思ったんじゃなくて、実は昨日アメリカ自然史博物館に行ってきました。そういえば観光してなかったので観光してみました。American Museum of Natural Historyね。
左はセオドア・ルーズベルト像
蛙の特集をやっていた。
別口。
中々面白かったので、ニューヨークに旅行に来る際はぜひ。
展示物は恐竜等の化石、さまざまな生物とその進化。様々な環境で育った文化と人類。宇宙。特に生物は哺乳類から植物、魚類から昆虫類など興味深いものが多かったです。
何より面白かったのが、アジアの人々というパートの日本の展示部分にアイヌ民族の展示があった。人類学上では、アイヌも軽視できない民族だからだろうか。
それと、館内では特に注意書きがなければどこでも写真を撮ってもよいというのも面白い感じでした。なんだか子供向けの科学博物館みたいなノリだ。
それと、日本の侍についても武具とともに説明書きがあった。なんでもいいが展示物より自分の方がずっと注目を浴びてしまった。なんせ展示されてる和服と同じように着物着てる人間が目の前にいるんだからな。そりゃ驚きますわ。
先日館内でまた勝手に写真撮られました。そんなに和服の男が珍しいのか。えー、僕は展示物ではありません。
8月6日
中国、韓国の歴史歪曲の疑いあり。高句麗は韓国なのか中国なのか(高句麗問題)
韓国政府が中国政府に対し抗議をしている。韓国メディアも批判ムード一杯で、外務省もまぜて外交紛争に発達してしまっている。
問題なのは、最近になって中国は古代朝鮮の高句麗を古代中国(当時は隋・唐など)の地方政権であったとする活動が見られる。
よその国の歴史をどうのこうの言うのはお門違いかもしれないが、中国は特に清滅亡後の共産党時代以降、他民族の歴史やアイデンティティーを歪曲、修正するきらいがある。韓国もまぁそうしたことをやってはいるが。
で、高句麗であるが。この国は中国東北部、北はロシア、南は朝鮮半島という満州に発生した王朝である。最初は満州東部に興り、朝鮮北部に発展する。古代朝鮮三国の一つである。
細かく言うと、前100年ごろに興起し王都は420年ごろまで中国東北部・満州辺りにあった。それ以降は平壌に遷都し、668年に唐・新羅連合軍に滅亡されるまでおよそ800年近く続いた勢力だった。
およそ満州から元北朝鮮、韓国と三国に渡っているので現在の地図では勢力図をぱっと見分けるのは難しい。しかも高句麗の遺跡などはその三国に渡っていて、文化・軍事面でも一大勢力だったことが分かる。
発生時期は漢王朝の頃。最後の滅亡まで幾度も隋や唐に侵略されているが、何度も防いでいる。560年、国名を高句麗から高麗と変更し、現在の朝鮮の英語訳、Koreaはこれに由来しているといわれている。
ちなみに中国が我が国の周辺国家、や地方政権と言い出したらきりがない。大体、中国は多種多様な民族が住んでいる国であって、王朝も日本のように大和民族でずっとつながっているような物ではない。
もっと言ってしまったら、中国大陸にできた国はあまり歴史の連続性がない。王朝ごとに民族が入れ替わり、その他の民族は抑圧されてきた。
だから、例えば日本が鎌倉時代に作り上げた文化はずっと日本のものだが、中国が唐の時代に作った文化は現在の「中国文化」とは言い切れない部分もあると思う。
とはいっても、現主流の漢民族は人口の9割を占める。時代によって地域を移動しながら時を過ごし、その為異民族とも同化していった。だから完璧には断絶的な文化とまでは言い切れない。
だが王朝自体は極めて断続的である。異民族が王朝を取り合って発展してきた大陸だからだ。そのため、たとえ冊封体制に入っていたからお前の国は中国の領国だ!というのは頭が悪すぎる。もとよりこれは対外政策であるし、歴代王朝が実施していたとしても説得力がなさ過ぎる。
これを元に、中国政府は沖縄まで中国のものだと言ってきた経緯も無視できない。琉球王国は明・清に朝貢していたからだ。だが琉球は薩摩藩とも関係を持っていたし、1872年明治政府は琉球藩を制定し、それまでの国王を藩主としている。そのとき、清国に琉球は日本領であることを明示し、琉球もその翌年には清国と断交している。
1879年、廃藩置県を断交する明治政府に対し琉球は応じなかったため軍隊を送って廃藩置県を強行した。いわゆる琉球処分である。ここに琉球王国は事実上なくなり、日本国となる。沖縄は列記とした日本領だ。
話は突然変わるが、高句麗も列記とした古代朝鮮三国の一つである。今回の中国政府による、高句麗は中国の地方政権というのもなんだか無理な見解である。それを言ったら冊封体制関係国は全て中国の地方政権になってしまう。
大体、満州系が元の国家だからと言っても、満州族は現在の漢民族とは違う。
満州族とは、1636年、大清帝国を築き漢民族を支配した民族である。現在は同化気味であるにしろ、古代の高句麗を我が国としてしまうのは厚顔無恥ではないだろうか。
大体、高句麗は満州系であることは事実だが、滅亡までどこの支配も受けていない。地方政権どころか、唐や隋、新羅などと独自に交戦した立派な主権国家である。
中国がこうして高句麗を今更になって騒ぐのは、そう遠い将来ではない南北朝鮮統一が実現した時の領土に関する利権から来るようにも思われる。と、簡単に高句麗の歴史を調べて書いてみたが、やはり高句麗は高句麗であるし、古代朝鮮三国の一つであることには変わりはない。
尖閣諸島についても書いたが、あれも完全なる日本の領土であって、石油利権の可能性が出てきた途端、領土問題を提起し始めてきた。
はっきり言って、利権を奪い合うのはその政府が国民に対する義務だとは思うがあまりに露骨である。
※冊封体制を知らない人に送る要約。
冊封体制とは「さくほうたいせい」と読み、中国大陸の歴代王朝が東アジアに対し用いた対外政策。中国皇帝が貢物を朝貢してきた諸国の君主に対し官位などを与えて君臣関係を結んでいた政策。
細かく書くと、君臣関係を結び中国皇帝がその地方の国を統治することを認めることを「冊封」という。が、それに対して宗主国と属国という関係を作らされる。例えば、近代でも李朝朝鮮は清を宗主国と呼んでいた。
だが、実際のところ周辺諸国はその土地特有の土産をあげれば、それ以上の返礼物を出して歴代王朝は権威を示したがったので、朝貢はただの政治的儀礼でしかなかったとも考えられる。同時に貿易のためでもあった。つまり、国によってはかなりの影響力もあったのだが他方によってはただの挨拶程度だったとも言える。
邪馬台国の女王卑弥呼が受けた鏡や金印もこれに値する。朝鮮半島の高句麗・百済・新羅もこの冊封体制内にあった。ちなみに、日本は飛鳥時代、聖徳太子の政治的手腕によってこの冊封体制から脱却し政治的に同等の国家関係を作る。
明治に日本が清に勝利するまで、一応にも東アジアにおける冊封体制は続いた。室町時代、冊封体制の外にあった日本は一時的に朝貢貿易という形で貿易をする。室町幕府、足利義満の日明貿易である。だが後に日本は戦国時代に入り、やはり冊封体制の君臣関係とは関係ないところにある。
8月5日
サッカーアジアカップの中国の反日現象について書こうと思ったけどやめた!
せっかくニューヨークにいるのだし、もう少し中国人と話し合ってから書くことにする。ただ一ついえることは黄文雄氏が語るように謝罪すべきは中国だし、反日教育を徹底しつづけているのは中国共産党だ。
黄文雄氏は台湾人で独立派だから、中国を無駄に賛美するような書籍を書くはずはない。だがやはりこの地で実感するに中国の民度とは決して高くない。むしろ低い。あの雑多な55もの言語も習慣も違う民族を支配するには、決定的な敵を作り上げるのが一番効果的だ。
大体、失礼な話だが文化大革命も分からないような若者たちがありもしないような共産党の反日的情報に踊らされているのは、正直愚民化政策かとも思ってしまう。
中国もこれから徐々に開けていく国だ。「共産党王朝」の崩壊がいつかは知らないが、もう少し教育方法を変えたほうがよろしかろう。
ニューヨークに着てからも中国人とは何人も話した。日本でも話したが、こちらではチベット民族の人間にもあった。もっと色々な人とあって話して、それから中国のことは書こうと思う。思うに、史実あるなしに歴史を塗り替えていこうとする中国政府のやり口はアイデンティティ・ウォーに関連してくる。 自国を侮辱するようなことを誇張して宣伝するための施設を大陸に作られて、それでも公然と批判をできない日本政府には残念という感情が先立つ。
※文革を知らない人へ送る要約。
文化大革命は約して文革ともいい、1965年から11年続いた政治闘争のことである。毛沢東が資本主義の道を行く実権派打倒を掲げ展開した。後に思想、文化、風俗まで打ち壊していくことになり、実質大失策であった。
死者は確かではないが約2000万人。中国各地の壊された文化と風習の価値は計り知れない。毛沢東死後、さすがの中国共産党も間違った内乱であったと発表した。
8月4日
車でエンジョイってカーセックスのことか?
日系のニュースをテレビで見ていて思った。
炎上ってエンジョイと聞き間違いしてしまうことはないかい?
ちなみに、こういうニュースの時に聞き間違えてしまった。
壁に衝突した車は炎上し、中からは重症になった・・・・・・・・・・
こう聞こえた。
壁に衝突した車はエンジョイし、中からは重症になった・・・・・・・・・・・
いや、ありえないがな。でも想像してみるとおもしろい。壁に衝突してもエンジョイしている車、怪我をしても何のその!
車でエンジョイって言われるとドライブよりカーセックスがまず初めに思い浮かぶ19歳、心の成長期です!
8月3日
無粋な中華料理
アメリカで一人暮らしをしている。
アメリカといってもニューヨークだから、大都市なので日本食は適当に手に入る。やはり不器用な男の女々しい一人暮らしには即席料理は最高の妻な訳で。乾麺のパスタや蕎麦や、簡単なものは楽でうれしい。
もちろん、料理を作るのも楽しいのだが、大学が始まればそれどころではなく忙しくなりそうなのでやはり手間がかからない食事はありがたい。
そこで重宝する簡単料理、というべきかインスタント料理に各食品メーカーから出てる中華料理のインスタントがある。
おいしいものも多いので助かる。ありがたい。
しかし今日紹介する「ごはんがススムくん」という中華即席料理である。まずくはないのだが、幾分小生には理解しきれぬ部分がある。
麻婆春雨まろやかとんこつ味中辛
・・・・・・・・・・・貴様、中華料理じゃなかったのか!!??
8月2日
突然ですが。
kasa's legitimate squareとゆうところの「騎乗位促進論」を読んでみてはいかがか。そう、世の女性、すべからく特に日本女性は心を許した夫などには自分から攻め入るくらいの気構えでセックスに望んでいただきたいと思っています。
言っとくけど、セックスってのは男体にとても負担がかかるんだぞ。(腰が)
それはそうと、自分もいつかそういう事に関する考察を作ってみたいと思う。セックスにしろ何にしろ、同じ民族でも他民族でもおもしろいようにちがう。一男児として、興味がつかないわけであります。
−−−
そんなことより。
大学に入学手続きが思っていたよりよほど困難だった。自分が出願したところは願書処理がすごく評判の悪いところだったのである程度予想していたがここまでとは思わなかった。自分は英語を慣らすためと称して九月入学の前の六月から現地入りして語学学校に通ってみた。出願の受理は恐ろしい。失敗したら大学に入れないからだ。六月からアメリカに来てよかったと思う。詳細は後で残すとして、今とりあえず言えることは合格手紙をもらっても油断できないということ。そして理不尽な理由で大学の合格が手に入らなかったり、意外と甘い基準でも名門大に入れるということだ。しかも英語でやるのは中々疲れる。特にニューヨーカーは喋りが早くて疲れる!とりあえず、これから出願する人も合格と言われていても一月前には現地入りしたほうがいいかもしれない。でもこんなことでいちいち疲れていたらアメリカで大学生なんてやってられないのかもしれないなぁ。
−−−
政治も、日本の郵政、対北食糧支援、ドイツの在独米軍減、色々と難しそうですなぁ。何よりドイツの米軍が縮小するのはうらやましい。ドイツは雇用が減るからいやだという意見もあるらしいが。うぬぁあ。
ちなみに自分の新憲法論は産業復古による雇用拡大がある。やはり人は思想よりも利益についてくる。
8月1日
一発ネタ・デリヘル
デリヘルで来た女の子に・・・・・・・・・・・・・・・・・
チェンジって言われた!!
終